サーフボード ブランド

サーフィンレップスブランドカタログROCKDANCE ロックダンス

ROCKDANCE ロックダンス

シェイパー

 




松本光二
KOJI MATSUMOTO

1955.10.20生まれ 辻堂在住
サーフィン歴32年、シェイプ歴26年
長いシェイプ歴を誇るベテランシェイパー。日本人ならではのきめ細やかな技術でプロからビギナーまでに対応した優れたサーフボードを作り続けている。



高橋真人
MAKOTO TAKAHASHI

1967.10.23生まれ 伊豆・下田出身 平塚在住
サーフィン歴20年、シェイプ歴7年
若手シェイパーでサーフィンをこよなく愛する。自ら、日々波乗りをしながら常に新しいシェイプデザインの追求にも余念がない研究熱心なシェイパー。



鈴木三好
MIYOSHI SUZUKI

1958.12.5生まれ 茅ヶ崎在住
サーフィン歴30年、シェイプ歴26年
ベテランサーファーから中級者のステップアップ用〜ビギナー、またはキッズ用までと幅広い層のサーファーに対応したサーフボードを作り続けている。



大橋勧
SUSUMU OHASHI

1960.1.9生まれ 茅ヶ崎在住
サーフィン歴32年、シェイプ歴12年
JPSAプロサーファー。幅広い層のロングボーダーに対応したシェイプデザインを持ち味とし、日々のサーフィンをシェイプデザインにフィードバックしている。




ダレン・ハンドリー
DARREN HANDLEY

1963.10.19生まれ オーストラリア出身/オーストラリア在住
サーフィン歴29年、シェイプ歴19年
サーファー・シェイパーでオーストラリア・キラをホームポイントとし、現在オーストラリア若手No.1、No.2のライダーを持ち世界中のASPサーファーからの信頼も厚いトップシェイパー

→ダレン・ハンドリー&スパローへのインタビュー(2006/8)

→ダレン・ハンドリーへのインタビュー(2005/11)

 




チャック・アンドリュース
CHUCK ANDRUS

1954.4.8生まれ ハワイ出身/ハワイ在住
サーフィン歴38年、シェイプ歴31年
ハワイアン・スピリットと伝統を受け継ぎ、コンペティションモデルからビッグウェイブ・ガンまで時代のニーズに反映したプログレッシブなデザインを追及するハワイアン・シェイパー。




パット・ローソン
PAT RAWSON

1954.4.25生まれ カリフォルニア出身/ハワイ在住
サーフィン歴43年、シェイプ歴38年
多大な実績を誇るパット・ローソンは、多くのシェイパーやサーファーに影響を与え続け、ハワイアン・サーファーのみならず世界中のプロサーファーからの信頼も厚い、世界屈指の名シェイパー。




トコロ・ブロス
TOKORO BROS.

1966.7.29生まれ ハワイ出身/ハワイ在住
サーフィン歴23年、シェイプ歴17年
常に最高のサーフボード・デザインを目指す若手シェイパーの代表格。スピード性とコントロール性に優れたデザインは、世界中のASPサーファーより支持されている。本人のサーフィンもASPレベルのシェイパーサーファー。




マーク・リチャーズ
MARK RICHARDS

1957.3.7生まれ オーストラリア出身/オーストラリア在住
シェイプ歴32年
1979年〜1982年 ASPワールドチャンピオン。4年連続世界チャンピオンの実績を持つ。




モーリス・コール
MAURICE COLE

1954.3.13生まれ オーストラリア出身/オーストラリア在住
サーフィン歴36年、シェイプ歴31年
WCTの前進、IPSのサーキットを回っていたプロサーファー&シェイパー。名作ビデオの「ストームライダース」にウェインリンチと出演したことでも有名なサーファー。


chilli surfboard

ジェームス・チール (チリ)
James Cheal (chilli)

 WCTのトッププロサーファーが好んでオーダーする人気シェイパー。
 アンディ・アイアンズやケリー・スレーターなどが使用していることも有名。




アダム・フレッチャー(スパロー)
Adam Fletcher(SPARROW

 アダムはクーランガッタの坩堝からそのまま飛び出してきました。彼はそこで親友でもあるミック ファニング、ジョエル パーキンソンやディーン・モリソン、その他CK7(クーリーキッズ)のメンバー達と共に育ちました。
  このような厳しいコンペティター達のグループに居た事により、アダムは常時コンペティション(競技)に身をおく事に背を向け、自らの手をシェープで試す為、真っ直ぐDHDの工場に向かいました。その時、17歳のアダム(愛情を込めてスパローとして知られています)は、床掃除やサーフボードの梱包を始めました。
  そしてブランクスのプロファイリング作業に導かれ、それを通じて自らの技能を磨き続けました。オーストラリアのベスト・シェーパー達を師と仰ぎ、オーストラリアでも最も熱い若手サーファー達をテストパイロットに持つ彼は、彼の地で最も若くして熱いシェーパーサーファーとして認識されました。

→ダレン・ハンドリー&スパローへのインタビュー(2006/8)