サーフィンレップスインタビュー原田泰三
伊勢でバイトをしながら友達や知り合いの家に泊めてもらう...そして日中はサーフィン三昧。そんな生活が2年続きました。
原田泰三
ハラダ タイゾウ
PHOTO&TEXT&INTERVIEW : N.HASEGAWA

 プロサーファーとして活躍している時、サーフボードのシェイプを始め、
「DRIVE SURFBOARDS」を立ち上げる。
  さらにサーフショップをオープンさせ、次々にサーフィンに関わるビジネスを立ち上げる原田泰三。
  海のない大阪で生まれ育ち、大阪を代表するプロサーファーとなった原田泰三の人物像を掘り下げるべく、インタビューさせて頂きました。



-- 名前、年齢、職業を教えてください

 原田泰三、現在は40歳。
生まれは大阪。だんじり祭りの町、岸和田市で育ちました。
生まれたのは岸和田城のすぐ近く。
仕事はプロサーファー、シェイパー、サーフショップオーナーです。



-- サーフィンの得意技は?

 カットバックです。
自分ではカットバックとチューブが得意だと思っていますが、人にはカットバックが上手いと言われます。



-- どこの海(ポイント)によく行きますか?

 和歌山、日本海、沖縄など。
沖縄は年に3〜4回行っています。沖縄には一度行くと1週間くらい滞在してサーフィンしています。










-- 今までに乗った一番大きい波のサイズ・場所・コンディションなどは?

 波のサイズはデカすぎて分からない...5m以上あったかな??
ハワイ、沖縄、和歌山などでデカい波に乗りました。
サイズが大きいだけの波はいろいろ乗ったけど、でかくてホレている波はあまりなかった。
 これまでのサーフィン人生の中で、2回は本当にデカい波に乗った。それは和歌山と沖縄でした。
ビッグウェーブに乗るときは頭の中は真白!恐怖心などは感じなかったですね。




-- サーフィンを始めてからプロになるまでを教えてください

 サーフィンを始めたのは中学3年生のとき。
きっかけは当時サーフィンブームで周りの友達がみんなサーフィンをしていたから僕も始めました。
 その頃は自分のボードがなくて友達が持っている1本のボードをみんなで回して乗っていました。

 中学卒業後は専門学校に行きました。勉強は大嫌いでしたね。
 その専門学校では同学年に120人生徒がいて、卒業したのはたった2人だけ。
ワルが集まるどうしようもない学校でした(笑)


  僕の親は僕がサーフィンをすることに反対していました。
専門学校の2年生のゴールデンウィークに親とちょっとしたケンカをして、「伊勢にサーフィンしに行ってくる」と言って、家出同然で伊勢に行き、そのまま半年くらい家に帰らず、連絡もせず、サーフィンしていました。
結局、そのまま伊勢には2年いました(笑)。その間、ほとんど連絡もせず、家にも帰っていなかったですね。


 伊勢に行った初日に友達になった人が住み込みでバイトしていて、そこに泊めてもらえることになって、しばらくそこにいました。その後、また別の人に知り合い、泊めてもらっていました。

 伊勢でバイトをしながら友達や知り合いの家に泊めてもらう...そして日中はサーフィン三昧。そんな生活が2年続きました。

伊勢で過ごした2年間でサーフィンのレベルを上げ、大阪に帰ると、大阪のパチンコ屋がスポンサーについてくれることになり、 「カリフォルニアに行ってこい!」と言ってくれました。
 何も決めないまま、とりあえずカリフォルニア行きのエアチケットだけ持って出発。

「行けば何とかなるだろう」

カリフォルニアに行ったときの気持ちは伊勢に行ったときと同じ感覚でした。

 すると、カリフォルニアへ向かう飛行機でたまたま知り合いのサーファーに会って、そのサーファーにくっついて、カリフォルニアで生活を始めました(笑)。
 結局、カリフォルニアには合計2年間ほどいました。

 当時はビザの問題で半年に一度は日本に戻ってきていました。カリフォルニアでサーフィンの腕を磨き、日本に戻っていている間にプロテストを受けていました。

プロテストの結果は...
1回目は全然ダメ。
2回目もダメだったんですが、かなりいいところまで行きました。
僕のライディングを見て、スポンサーも現われました。そのときにプロになれそうだと思いました。

そして3回目のプロテストでプロになりました!









-- 泰三さんがプロになったときはサーファーがすごくモテた時代だと思いますが、実際はどうだったんですか?

  2年遅かったですね(笑)。
先輩サーファー達はモテていてうらやましかった。
 昔のサーファーは個性が強かった。だからモテてたんだと思います。

まあでも...

実は...

正直なところ...


モテました(笑)。

サーファーにもサーファー以外にも(笑)。







-- プロツアーを回っていた期間はどれくらいですか?

  25歳から7年間くらい。
同期のプロサーファーは浦山哲也や進藤晃、小川直久など。






-- どうやったらプロサーファーになれますか?

プロになれると自分を信じ続けること。
そして波に乗りまくること。







-- サーフボードのシェイプを始めたのはいつですか?

  25歳でサーフボードのシェイプを始めました。プロになったのと同じ年です。

  当時サーフボードをオーダーするときにこちらの要望がシェイパーにうまく伝わらないことがあり、もどかしかったんです。

  自分でシェイプすれば思い通りのサーフボードに乗れると思い、サーフボードをシェイプするようになりました。

 




-- シェイパーとしての理念、理想は?

  「サーフィンが上達できるきっかけになるボードを作る、提供する」ことです。
お客さんと一緒に海に行ったり、いろいろ話をする中でお客さんが上達できるボードを作るようにしています。
初心者でもプロサーファーでもとにかく上達できるボードを作るようにしています。





-- サーフショップを始めた理由は?

 サーフショップを始める前はシェイプルームに直接お客さんが買いに来てくれていました。
そのお客さんが来やすいようにショップを始めました。
 ショップを始めたことにより、お客さんは来やすくなって喜んでくれています。

 ショップがなかった頃には、シェイプルームには「サーファー」しか来なかったが、ショップを構えたことにより、「これからサーフィンを始める人」も来てくれるようになりました。

  初心者の人がサーフィンを楽しいと思って続けてくれるようになるとうれしいですね。







-- プロサーファーからサーフボードシェイパー、ショップオーナーに転身していますが、
  プロサーファーとして活躍した後に進む道としてどうするのがいいと思いますか?


  自分のやってきた経験を活かして世の中に還元できればいいと思います。
活かす場所はサーフィン業界以外でもいいと思う。
 サーフィンを通じて経験したことは、サーフィン以外の場所でも活かされると思います。
僕はサーファーが上達するボードをシェイプしたり、ショップを通じて「サーファーを育てる」ことをしています。






-- 泰三さんは精力的に大阪からいろんな波を求めていますが、大阪を拠点にしていると
  体力、金銭面的に厳しいサーファーも多いのではないでしょうか?
  サーフィンを楽しみやすくするいいアイデアはありますか?


 友達やショップの人達と相乗りでいくと金銭面、体力的に楽になると思います。

  それと、いろんな種類のボードを持っていた方が楽しめますよ。
関西は波のコンディションが悪いときも多いので、そんなときでも楽しめるボードがあればいいですね。

あと自分にあったポイントを見つけて通うことが大切。
意外なところにいいポイントがあったりするので自分で探してみるといいですよ。








-- 大阪サーファーで良かったことはありますか?

 台風のときなどにいい波に乗れます。
和歌山、四国、冬の日本海などいろんな場所に行けるし、波が立てばいい波になりますよ。

  海まで遠いのでサーフィンをやりすぎないし、毎日できないから燃え尽きることがない。

  サーフィンに対して常に燃えていられますよ(笑)






-- 大阪サーファーで良くなかったことはありますか?

 「大阪サーファー」ってことだけで嫌われることかな。
海がないのでローカルじゃないし。。。






-- 今後、大阪からプロサーファーは生まれると思いますか?
  大阪のプロサーファーが生まれるとすればどうすればいいと思いますか?


 大阪のプロサーファーは生まれると思います。
がっついて、頑張ればなれる。

  ただ、週1回のサーフィンだけでは厳しいと思います。
  だから大阪でしっかり働いて稼ぐ!
2〜3ヶ月仕事をして、1ヶ月サーフトリップに行くような生活をすれば、サーフィンレベルは一気に上がると思います。






-- 泰三さんがサーフィンを始めた時のサーファーと現代のサーファーで異なることはありますか?

  サーフィンをする人の人種が違っているように思います。昔は「サーファー」という種族だったような感じ。 サーファーのボスがいて、その下に部下がいましたね。 サーファー1人1人に個性がありました。

  今はサーフィンが一般化していろんな人がサーフィンを始められる環境ですよね。今のサーファーは礼儀正しいですね。

 サーフィンが一般化したのは、情報が増えて、選択が増えて、窓口が増えたからかな??
サーフボードの種類はショート、ロング、フィッシュと何でもある。昔はサーファーと言えばヒッピー。そんな人しか始めなかった。

 昔の人はサーフィンに関する情報がなく、情報を得るためには努力をしなければならなかった。
その努力が出来る人だけが「サーファー」になったんだと思います。






-- 話が飛びますが、マリンジェットを購入したきっかけは何ですか?

  パドルで乗れないビッグウェーブが関西のあるポイントに立つんです。

  何度かパドルでその波にチャレンジしたんですが乗れませんでした。
 トゥインならそのビッグウェーブに乗れそうだと思って購入しました。
  今年はトゥインでその波にチャレンジするつもりです。

 マリンジェットは乗ること自体、バイクのようで面白い。ウネリを見つけてマリンジェットでウネリに当て込むような乗り方をしたり、サーフィンっぽい遊び方もできますよ。

 マリンジェットを使って、大阪湾でウェイクサーフィンもしています。波がない日でも海を感じれらるのがいいですね!
サーフィンでも何でもいいから海で遊んでウォーターマンでいられることが楽しいです。

サーフショップのお客さんをウェイクサーフィンに連れて行って、サーフィンのアップスンダウンの練習をしたり、ウェイクサーフィンだからできることもありますよ。

 






-- 将来のビジョンを教えてください

  時代に合わせていろんなことはするかもしれない。 ただシェイプが中心です。

  シェイプとサーフィンは時代がどうなろうと続けていきます。

  昔、四国で3〜4年程、シェイプしていました。
将来また海の近くでシェイプすることはあるかも...
  四国は波が良く、いい環境でシェイプしていました。
 いい環境にいると一般サーファーの気持ちを理解する部分がマヒしてきました。だから一般サーファーの気持ちを理解するために大阪に戻ってきてシェイプをしています。

  大阪でシェイプをし海へ通うようになると、海までの距離や環境などすごく理解できました。シェイパーとしてはすごくプラスになっています。

 将来の夢は、シェイプをして、船に乗っていろんなポイントでサーフィンことです。

 






<プロフィール>

名前 原田泰三 (ハラダ タイゾウ)
生年月日 1969年1月11日生まれ
出身在住 大阪府出身 大阪府在住
その他 関西在住のプロサーファーとして活躍する一方で、サーフボードのシェイプもこなす。自身のサーフボードブランド「DRIVE SURFBOARDS」を立ち上げ、プロサーファーとしての経験を生かして、シェイパーとしてサーフボードの性能アップを追及している。 さらに2008年には大阪府堺市に「アリカサーフ」をオープンさせている。

ドライブサーフボード http://www.drivesurf.net/
アリカサーフ http://www.aricasurf.net/
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